言論の自由とは、加害の自由ではない。


昔から「ペンは銃よりも強し」とも言われ、文章や言葉は時として大きな影響力を持つことは良く知られたことと言えるだろう。

その、いわゆるペンに代表される事柄は、言論であり、主張であり、批判もその中の一つだ・・・・。

銃よりも強いと比喩されるペンの力とは、言葉や文章が人の精神に訴えかける力が大きいという事を示している。

昨今マスコミやネット上で誹謗中傷には厳罰も必要ではないか?と言う意見が聞かれるのも、その傍若無人な誹謗中傷に対してであって、言論を規制しようという事とは本質的な違いがある。

「攻撃したつもりはない」とか、「そんなに深刻になられても」などと言い訳のように言い逃れることもありそうな、いわば殺意の否定に似た「まさかそれほど傷ついてしまうとは考えもしなかった」という事も確かにあり得る事とは思うが、ネット上での書き込みと言うアクションを起こす側の責任として、他者の気持ちを慮ることは人間として生きる我々の義務でもあろう。

言い過ぎてしまうことはままあり得ることだが、誹謗中傷や皮肉を言ったりイヤミなセリフを語りたがる人の心理を思う時、「何のためにそれを言うのか?」と問いかけてみたくもなる・・・・。

簡単なことなのだが、人が反応として悲鳴を上げる時や驚いて声を出す時でない場合の言葉と言うのは全て自分の持つ何らかの目的遂行のためであり、自己の不利益を回避し利得に繋がると少なくとも感じている場合に発するものであると断言できる。

また、何らかの文や言葉、或いは画像や映像に対し、強い言葉で非難する時を考えてみると、「それはひどいやり方じゃないのか」と言う時の発言圧力の源は一体何だろう、「自分の常識や正義感に照らして許しがたい」と感じているのだろうが、許しがたいような怒りとは、やがてそれが自分にも向けられる可能性や、自分がそれを体験すること自体の不愉快さを解消しようという反応と言えるのではないか?

さらに、間違っていると感じたことがらを指摘し、正しいと思っていることを伝える目的で書き込みをすることもあるだろうが、その場合では何が書き込むことのモチベーションになっているだろうか?
間違った知見が社会に広まることを阻止したいのだろうか?それともそうして誤りを指摘し、訂正させることに意義を感じているのだろうか?その場合はそうする自分がどう見られるかと言う点で利得を感じていなければ行動は起こさないかもしれない・・・・。

そうしてそれらの事柄に対して声を上げるという事は、そのことによって現状を変えようと試みることであり、影響力を行使して自分の不快感を減らし、或いは何らかの快感を得ることを目的としているという事を示していると言えるはずだ。

早い話が、人の行動とは自分のより良い生存感とその布石のためと言う限界を超えることは無いと言って差し支え無いものではないのか?

ちょっと言い方を変えれば、自分の快感のために誰かに皮肉を言ったり、イヤミを言うという事だから、その行為の意味するところは自分の満足感のために他人の感情を考慮しないという姿勢に違いは無いのである。

困ったことにそういうことをしがちな人の多くは、自分が正しいと思えば間違っていると思われる誰かに強く言ったり、上から目線でたしなめたりしても良いと感じていたり、その行為は社会的に許されると勘違いをしている節がある。

正義故の行動であれば言葉の暴力も時には許されるという思い違いが根底にあるのだろう・・・。

だから私は常々、「正しいと思う事は自分に力を生むかもしれないが、正しさとはほぼ相対的な価値観であるから、自分は正しいなどと思い込むべきではない」と主張している。

イヤミを言われた人はそれが快感であることはほぼ有り得ず、不愉快で腹立たしかったりするのが一般的であるし、皮肉やイヤミな言葉を言う方も、それを聞いた相手が嬉しがることは無いことぐらいは解っているのである。

不愉快にさせるであろうことを解っているのに皮肉を言うのは何のため?

言った自分はそれで何を得るのか?・・・僅かな優越感かもしれないし、小さな正義の行使と感じているのかもしれない・・・もしかしたら親切だと嘯く人さえいるだろう。

いずれにせよ自分の感情的な利得への行為であり、自分本位なものには変わりはないはずで、もし愛ゆえであれば皮肉やイヤミとは違った方法を採ることになるはずだ・・・。

自らアクションを起こす場合だけでなく、思慮と言う物は自分の行動や言動が他者に与える影響を考えて行うという事を示すのであるから、独りよがりな発言や行動は成熟していない人の証と言っても良いのかもしれない・・・・。

つまり誹謗中傷など、そういう事が出来る人は自分本位な未熟な人間と解るが、野放しにしておくのも良くは無いから、私のできる範囲で言えば、関わらないようにするか?あまり傷つけないようにそれとなく知らせるしかないのだろう・・・・。

そんな自分本位な人に対しても、傷つけても良いという事ではないのでそこで間違わぬことが肝心であろう・・・。

今日、此処に書いておくべきことは、人間のすべての行動に本質的規制は無く物理的に可能なことであれば、やろうとして行えば何でもできてしまうものだが、それは自分一人で回りに人がいない場合だけでは無いだろうか?。

社会に暮らす人間には言論だけでなくあらゆることが事実上可能ではあるが、加害することまでを自由の範囲に組み入れて、何の処罰も加えないという社会制度は何処にも存在していないはずなのです。

人は他人の人格や人間性について物申すことが禁じられている訳ではないが、その言い方ひとつで加害行為と判断されてしまうこともある為、対面して話していない他人である場合は更に注意をして臨まねば、相手の気分を害することになるのが普通のことだから、そこには十分な配慮が必要だと思うのです。

社会生活上では、人は人を傷つける権利を有していないだけでなく、人の生き方を尊重するという義務を負っていると心得なくてはならないと思うのであります・・・。

ただ・・・、「目には目を歯には歯を」と言う言葉もあるし、人を傷つけても正当防衛と判断されることもありますね。

殴り掛かれば殴り返されるという事は地球上では普通のことでもあります。

傍若無人な人は自分がそういう扱いを受けた時には自業自得と言えますから、覚悟していてくださいね・・・。

まあ、くれぐれも分別のある物静かな人に対して殴り掛からぬようにしてほしいものです・・・・殴り返されないと思って調子に乗る輩も居るのでね。

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