ヒューマニズムは人類を滅ぼすか?

私は、かねてより、ヒューマニズム思想の持つ欠点について考えてきたが、人類のヒューマニズムという思想がこのまま放棄されずに歴史を重ねるなら、それが原因で人類は衰退する可能性があると考えている。

私がここで言うヒューマニズムとは、キリスト教以前に倫理規範を求める人文主義や広義の人道主義、或いは博愛主義などとイメージは似ているが、むしろ人権を尊重する平等主義(基本的人権においてあらゆる不平等を認めないという倫理的立場、思想、主張)と言った方が適切かもしれない。

そういう意味での現在のヒューマニズムや倫理観に対するアンチテーゼの一つとしての私の考えを示そうと思います。

人類の文明の発達は人類の進化の歴史と密接な関係があることに異論を持つ人は少ないと思うが、いかがだろう?

そして人類が今現在地上に在るという現実を正確に理解し把握しようとするなら、人類の辿ってきた歴史を否定したり無視することは出来ないだろう?

例えるなら、日本軍が真珠湾を奇襲したことや、広島と長崎に原爆を投下した米国の戦略など、多くの過ちと思われる判断を行って来た人類の過去を揶揄したとしてとしても、それを変えることは不可能であるだけでなく、有史以前に遡る歴史的生物史の上に現在が成り立っているという厳然とした事実を曲げることは不可能だという事に尽きてしまい、数十年前の戦争の歴史だけでなく数万年に亘るすべての人類史は、地球に於ける生物進化の結果の上に成り立っていると言うほか無く、それを前提としなければ全ての論理的な基盤は失われてしまうと言えるはずだ。

そのことから、現在の地球と人類の存在とは、正義が勝利した歴史の上に在るものでは無く、現在という進行形の瞬間の堆積の結果でしかないと解るから、善悪で括り得る事柄ではあり得ず、ただその現在形の瞬間に起きた現実の積み重ねこそが未来を決めてきたという事実を認めなくてはならないという事になるのだ。

そしてその地点から言い得る事実は、現在の地球における人類社会は必ずしも正義が勝利して出来た世界秩序では無く、有史以来綿々と続いてきた強者が支配する秩序モデルに他ならないという現実ではないだろうか?

しかしながら、世界大戦後の人間社会にある正しさの代表的な思想はデモクラシーとそれを下支えするヒューマニズムであり、それは基本的人権においてあらゆる不平等を認めないという倫理的立場を採る平等主義とも言え、強者生存の生物の掟を真っ向から否定している思想だから、この思想が人類の進化を止めてしまっていることも事実であろう・・・。

人類だけでなく生物が進化してより地球環境や生物環境の中で適合し生き残るのは、やはり適者生存の摂理によって淘汰が起きたからと考えるのが最も理にかなっているし、今も多くの種が毎年地球から姿を消している事実は、今の人間が住む地球環境の中で適応し種を繋いで行く力を失ったことが原因と言えます。

食物連鎖の頂点を極め、今や競争相手は同じ人間だけとなった人類だが、あからさまな生存競争だけでなく、あらゆる不平等を認めないという世界的な人権意識の変化によって、生まれながらに遺伝子異常などによるハンディキャップを持っていても、擁護され成人し、子孫を繋ぐ権利を否定されていない為に、種としての淘汰が止まってしまっただけでなく、本来の自然淘汰であれば生き残れないような個体であっても平等な人権という観念の元に子孫を拡大することも可能になって来たのです。

こうした平等主義の生むネガティブな結果は、遺伝的脆弱性を持つ人間の増加を抑制できないことを意味するから、人間の種としての弱さを生み、何処かで歯止めをかけないとすれば、自然淘汰の掟から外れ、やがて人類は衰退することになると予想したと言うわけです。

多分数千年前であれば成人するまで生きて行くことが出来ない先天的な弱さがあれば子孫は残せずに死に絶えて、生存に不利な特徴を持つ遺伝子は淘汰される仕組みが生きていたでしょう、しかし現代の平等主義や医療の発達に依って、本来生きて行けない個体も救われ擁護されて子孫を残すことが出来ることで、人類の進化は止まったと言えるし、それだけではなく劣化が始まってすでに久しいのです。

例えばカタプレキシーとかナルコレプシーという名の病気があります。
これは遺伝的に発生する確率は高く、一卵性双生児で双方が発病する確率は3割にも達するのですが、ナルコレプシーは、突然耐え難い睡魔に襲われ所かまわず眠ってしまう病気です。

またカタプレキシーはナルコレプシーの患者に多く有る症状で、情動性脱力発作と言われ喜怒哀楽(喜びや笑いと言ったポジティブな感情の方がより多く発症する)の感情的な高ぶりによって筋力を失い倒れてしまったり失神したようになる病気ですが、先史時代であれば生き残りにくい類の病であると考えられます。

どちらの病気も原因は脳内の神経ペプチドの一種であるオレキシンが減少することで起きると言われていますが、完全に仕組みが解明されている訳ではないようです。

遺伝的に高確率で発症するのは事実の様ですが、現在はこれらの病気だけでなく多くの遺伝的な疾患がある人も子孫を残す権利は奪われることはありませんから、淘汰はほぼ起きず、人類全体としてはリスクを多く残す個体を減らすことはありません。

人権意識はここ100年ほどの間に急速に高まってきた思想ですから、人類の劣化という局面にまで達するにはさらに長い時間を要することになると思われますが、人類がごく自然にこれらの遺伝的な障害の存在を無視して将来へと進み続けるとも思えないのです。

結果的に障害の無い個体のグループと遺伝的な障害のある個体のグループが出来上がってしまう可能性も否定できず、社会問題として遺伝子差別が起きてしまう流れを生むかもしれませんから、何らかの改善が望まれることになるでしょう。

改善の方法の中では子孫への遺伝子治療が行われる可能性が最も高いと私は考えます。しかし、現在ではデザイナーベイビーを生ませないような世論が優勢であるためなかなか広く行われるようにはなり難いかもしれません。

受精卵のレベルで遺伝子治療を行う事は、同時に他方の遺伝子も修正してしまおうという機運を排除しづらくすることになるからです。

あくまでも私の予想することですから、どうなるかなど全く判らないことではあります。
ただ、人類は生物の一種ですから進化することを基本的に望んでいるはずで、必ずその障害となる事に手を付けることになると私は考えますから、やがて遺伝子操作による子孫へのリスクを減らすことを選択すると予想します。

人権としての不平等を生まないためにも人類は遺伝子治療への倫理観を変更して行くだろうという事です・・・。

そういう事が常識となった時代では、すでに解っているHIVが発症しない遺伝子を組み込むことも普通になりはしませんか?同様にあらゆる病気のリスクに対して有効な遺伝子操作を行った後に妊娠させて子供を出産することが普通になる時代がやってくるのは確実と思えませんか?

つまり人類はやがて必ず「デザインされた子孫」を残そうとするという事になると思う訳です。

そういう時代になった時、あえて美形の顔を作れると解っている遺伝子を組み込まないという親がどれくらい居るでしょうか?

現在の美容整形の需要や化粧の現実を見れば、人が美しい容姿を強く求めていることは明白ですし、生まれながらの不平等の代表格である人の顔の美醜や容姿はやがて遺伝子組み換えによって大きく修正されることになって行くことでしょう・・・・。

あと数十年~数百年、人類が地球で生きて行ければの話ですが・・・・。

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