悠久のうたかた

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<<   作成日時 : 2017/05/26 12:05   >>

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私は、何時の頃からか、全ての情報の中の報道や何らかの文章、評論記事等あらゆる人為的インプットに対し、そのままに自分の認識としてしまう事を避けるようになりました。

特に映画評論やカーインプレッションなどのメディアを通じた情報を殆ど鵜呑みにすることはありません。

先日の「モータージャーナリストにケンカを売る」という私のBlogもモータージャーナリストのいう事を決して鵜呑みにしてはならないという所から書いたもので、彼らの真意はどこに在るのか?と考えるところからの推論なのです。

その自分の、疑ってみるという起源を遡ればたぶん高校生の時に通学電車の中から通り過ぎる街の景色を眺めている時に突然気づいたことがあった時からです。

それは私が、何気なく見ていた電車から見える全ての看板や中吊り広告も、会社の看板も、週刊誌の記事も、新聞の記事さえ誰かの利害に直結しているという感覚が鮮明になった瞬間でした。

もっと考えて行くと、全ての事柄が誰かの利益のために行われ、時にはベタに、時には恐ろしく巧妙にこっそりと、人々の意識に入り込んで誰かの利益に繋げられているという事は明白になりました。

利益と書くと金銭的なことを連想しがちですが、誰かが望むことを実現するために何かをしているという事で、凡そ地球上のすべての事柄がその中に入っているという事です。

つまりこの世の中に起きるすべてのことが、膨大な数の誰かの思惑によって始まり、その連鎖反応がすべての事象を作り出しているという事になります。

誰かが望むことを実現するために張り巡らされた仕組みを感じるようになってからは、物の見方が一変することになりました。

それはメロスのごとき信頼は幻想では無いかと思う事にもなりますが、少なくとも人々の言葉や行為の中にある真意を常に意識することにはなりました。

声高に語る人の言葉に惑わされてはならず、その語り手の本当に求めるものは何かを常に想像する必要があるという事なのです。

その言葉によってその人は何を目的としているかを読み取る必要があるという事で、語っている内容だけに惑わされてはならないのです。

論は論として聞くのですが、その人は何の為に論じているかその目的を考えるという事ですね。

決して表面の言葉や美辞麗句に惑わされてはならないのです、特に大義名分を振りかざすときは必ず隠された理由或いはあからさまな目的がその中に仕込まれていると考えて間違いはないのです。

極論すればほとんどのメディアに乗って来る情報は直接或いは間接的なマーケティングその物であるという事で、報道さえ何者かの利害に繋がったバイアスを受けていると考えねばなりません。

先日のBlogで書いた「学校では教えていない近代史」はそのレベルで考えると誰かの利害を私が代弁していると考えなくてはならないという事になりますが、さて誰の為でしょう?

どんな目的をもって私は読まれないであろう、面倒な話題を長文にしたためたのか?その本当の目的がどなたか解りますか?

もし私が本を書いていればそのマーケティングの一環と言えましょうが、私は一介のエンジニアであり、職業との関連はほぼありませんね・・・・。

私の真意は「日本人の為」なのです。日本人という同胞の未来の利益に繋がるのではないか?という思いで書いたのです・・・・。

この世の中で売られている物品についての記事は疑ってみてくださいね?誰かの利益を代弁している可能性は高いですから、ネガティブな発言があればそれによって利益を受けるのは誰か?と、とりあえずは考えましょう・・・・。概ね受益者は誰かを考えることで目的が見えてきます。

この私のこの発言は誰の為?誰の利益に繋がるのでしょうね?

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